評価は後から定まる
こことかこことか、こことか、もういろんなところで話題になっている
例の法案についておもうことがあったのでつらつら書きます。
酒パワーもあるのでちょっと変な文章かもしれません。
人間はその場の状況で判断しなければいけない状況に追い込まれることがあるけれどもその是非というのは必ず後になってから評価される。
利があったのか、害だったのか。
それをたった5人以下の人間によって有害か無害かという判定をして
インターネット上のコンテンツのフィルタリングを強制しようという
法案が国会に提出されようとしている。
個人的には「有害、無害」っていう言葉自体もあまり好きではないのだけれども....
有害、無害は状況によって決まる話でAさんには無害でもBさんには有害である、ということはままある。
でもそれじゃキリがないので基準を定めるって話ですが
それはあまりにも国民の個人という部分を無視していませんか?
というより「情報」というものへの理解が足りないというか。
「実物」はある程度誰にでも同じように効果をしめすけれども
「情報」というものは個人や状況を特定しなければその効果は発揮されない。
また盗まれてもわかりにくい。
何しろ簡単にコピーできるから。
そしてもっともよく知られていることだが情報の価値というのは
時間によって変化する。
遅れた、皆が知っている情報をもっていても、その価値は少ない。
そんなものをたった5人で判定するなんて私は到底賛成できない。
たくさんの目があるからこそ、たくさんの情報を扱えて
やばい情報にはだれかが反応するのだ
(この法案への反応がまさしくいい例だ)。
5人の10個の目がどれほどだというのか。
そして、たぶん確実に一度判定された評価は覆らない。
情報は生き物のように腐るというのに。
だからネットのみんなは「技術的に無駄」と声を大にして叫んでいるのに。
たぶんこの問題はいろいろからみあっていて単純に収まる問題じゃない。
もっといろいろ考えないといけない部分がある。
そこを思考停止的にしてしまってはいけない。